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60年代はユースカルチャーから。ツイッギーのミニスカート。

ファッションの歴史を学んでみようと思い、ちょっと調べてみました。

1960年代のまとめです。

愛知県豊橋市・豊川市・新城市の美容室【LE-PLA BEAU(ルプラ・ボウ)】の新城店“Beret(ベレ)”店長兼トップスタイリストの堀毛です。

ホームページのプロフィールです。ヘアカタログもあります。こちらもぜひご覧ください。

インスタグラムもやってます。フォロワー4000人超えました(^o^)/

《60年代はプレタポルテの時代》

ファッションとは、19世紀以前は王族や貴族の道楽であり、20世紀前半までも映画スターや富豪のみが楽しむものでした。

しかし、二度の世界大戦を機に一般の市民にもファッションを楽しむことができるようになってきます。

その背景には、オートクチュールからプレタポルテへの移行、既製服業界の発達がありました。

お金持ちはオートクチュールを愛用していましたが、若者たちは自分たちの好きな既製服を着て自己表現するいう新しい文化を作り出しました(以前はファッションで自己表現するという感覚は薄かったらしいです)。

若者が新しいものを求めて、既製服業界がそれに応えていくという流れができ、トレンドもオートクチュールよりも既製服が先行するようになってきます。

そのように60年代でトレンドとなった例が、ミニスカートです。

若者がストリートから流行らせたところが新しい文化となりました。

《プレタポルテ》

プレタポルテとは、既製服のことで「すぐに着られる服」という意味です。

もちろん既製服は今までもありましたが、それは作業服のような質の低いものだったため、それとは差別化するためにプレタポルテというワードができたわけです(プレタポルテ=高級既製服といったほうが意味がわかりやすい)。

プレタポルテが流行った理由として社会の変化か大きく関わっています。

上流階級の生活スタイルが、貴族などの富裕層から、ビジネスマンやキャリアウーマンへとシフトしていくという変化です。

人々は実用性を求めるようになったわけです。

59年に、ピエール・カルダンが初めてプレタポルテのコレクションを発表します。

65年には、イブ・サンローランがパリのセーヌ川左岸に初めてプレタポルテのブティックを開きます。

セーヌ河右岸にはオートクチュールのブティックが立ち並んでいたため、左岸には対抗するかのようにプレタポルテのブティックが建てられたのでした。

アンドレ・クレージュもこの流れに続きます。

こうしてハイファッションの業界は、60年代半ばからプレタポルテに力を入れていくことになるのです。

さらに、戦後にたくさん生まれた子供たちがファッションを楽しむ世代に成長し、若者のパワーが盛り上がってきます。

ロンドンなどでは、マリークワントなどのデザイナーがストリートで活躍します(ミニスカートが有名)。

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《若者文化、ユースカルチャー》

60年代は、戦後のベビーブームで産まれた子供たちが成長し、若者文化が形成されていきます。

それ以前までは、母親と同じような服をきていたのですが(大人向けのデザイン)、若者独自のファッションを求めるようになってきたのです。

その象徴的なアイテムが、ジーンズやミニスカートだったのです。

ユースカルチャーから新しいファッションが生まれてきたのが、60年代という時代でした。

また、若者が憧れる女性像も変化していきました。

50年代ごろは、マリリン・モンローのようなセクシーな女性やグレース・ケリーのようなエレガントな女性がみんなの憧れでしたが、60年代に入るとツイッギーなどの小柄で痩せている活発な女性に注目が集まりました。

オードリー・ヘップバーンも50年代後半から60年代にかけて人気でしたが、やはり後者のタイプの女性ですよね。

《ミニスカートの流行》

アンドレ・クレージュがハイファッションの世界に打ち出したのが、ミニスカートの新しいスタイル。

股下の露出が増えることで新しいシルエットやプロポーションが生まれました。

一般大衆のニーズ(特に若者)にマッチしていたため大流行しますが、オートクチュールの世界からはバッシングがあったようです(膝を出すなんて・・・・と)。

と言っても、クレージュが打ち出し始める前から、ストリートではミニスカートが出てきていました。

それをクレージュが初めてハイファッションの世界に持ち込んだ、というのが事実のようです。

ハイファッションの世界がストリートの影響に左右されるようになってきたのです。

ストリートブランドのマリー・クワントなどがすでにミニスカートを取り上げていて、反体制精神のある若者の人気になっていました。

当時ロンドンの若者に大流行し、60年代のミニスカートと言えばマリー・クワントという感じですね。

そして、ミニスカートといえば、スーパーモデルのツイッギーですね。

ツィッギーの来日で日本にもミニスカートブームがやってきました。

この時代には、ハイファッションの世界(クレージュ)とストリート(マリークワント)の両方からミニスカートが打ち出されていましたが、同じミニスカートでもら両者の立ち位置ははっきりと分かれていたようです。

《シンプル、機能美の時代》

戦前にシャネルがシンプルで機能的なファッションを打ち出し、世の女性の洋服を劇的に変化させました。

ところが、ディオールの時代に入るとニュールックと呼ばれるシルエットが人気になります(ニュールックと呼ばれますが、まあシャネルより前に戻るような感じです。逆戻りしたのです)。

50年代にディオールが打ち出したシルエットのファッションは、機能的というよりも装飾的であり、反機能主義に逆戻りするわけです。

そして60年代には、また機能的でシンプルなファッションが流行します。

これも若者の文化と既製服業界の影響を受けてのことです。

イブ・サンローラン、アンドレ・クレージュなどが代表的なデザイナー。

63年に打ち出されたのが、スポーティブルック。

スポーティブとは、スポーティーとはまた違った意味合いで使われたワードなんですが、労働者階級の服や作業服、スポーツウェアからディティールを取り入れたハイファッションのことです。

それまでのハイファッションには無かった流れでした。

上流階級のファッションが労働者階級に近づいたものがスポーティブと呼ばれるらしいです。

具体的には、アニマルプリントや水兵服、紳士服の要素が取り入れられました。

それから60年代後半には、イブ・サンローランによってパンツスタイルが積極的に打ち出されていきます(パンタロン)。

このパンツスタイルは、パーティ仕様の服ではなく、普段着として実用的で機能的なパンツスタイルです。

スカートに代わる、女性の普段着として定着させようとしていました。

この時のパンツの特徴としては、ストレートでなだらかな線のもの。

既製服として作りやすく、徐々に浸透していき、やがてミニスカートに代わる新しい女性のスタイルとなっていきます。

60年代後半は機能性を求めた時代になりました。

か女性が女性らしいファッションをすることが本当に必要なのか、という考え方が出てきます。

ここからマニッシュ(男性っぽい)なアイテムが女性のファッションに取り入れられていきました。

機能美を求めたファッションが広まりました。

《ヒッピースタイル》

60年代終わりごろからは、ベトナム戦争の反戦運動などの影響でヒッピーファッションが流行します。

愛、平和、自由などを求めた若者たちがラブ&ピースを掲げて文化を作っていきました。

ヒッピーファッションに関しては70年代ファッションをまとめたものをご覧ください(70年代ファッションまとめ

イメージとしては、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンを画像検索していただければわかりやすいかと思います。

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《60年代の音楽》

60年代ロックと言えば、というか今だにロックと言えば、ビートルズです。

ロンドン発の世界的ロックバンド。

62年から70年の解散に至るまで、大活躍しました。

マッシュルームカットや長髪のスタイルも印象的ですね。

それからビートルズに続いて、ローリングストーンズやザ・フー、ヤードバーズなどのロンドンロックバンドが続々とアメリカ進出を果たします。

アメリカからは、ビーチボーイズのサーフミュージックなども人気でした。

しかし、ロックミュージシャンたちはどんどんアイドル化していってしまいます。

そんなブリティッシュロック一辺倒かと思われますが、ボブ・ディランがフォークロックで人気を得ます。

そして、ロックバンドたちはドラッグなどで捕まったり、解散したりとゴチャゴチャします。

60年代後半には、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどが現れ、ウッドストックフェスティバルが開催されたりしました。

ジャズの世界では、マイルス・デイビスなどがジャズの新しいスタイルを確立していきました(ぼくはマイルス・デイビスが大好きです)。

これらのようなミュージシャンたちは、ファッションの世界にも大きく影響を与えました。

読んでいただきありがとうございます。新城市の田舎美容室ベレの堀毛でした(プロフィールもぜひ)。
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Profile

堀毛 翔太

ルプラ・ガーデン   堀毛 翔太

ルプラ・ボウの教育ディレクターをやっています。
1988年生まれの男。名古屋出身。
本、映画、旅行、野球、植物が好きです。
どうぞ、よろしく。

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