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新城市の美容室ベレで働く堀毛のプロフィール。クソ長いですが読んでください。

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髪のことや美容のことについての質問などありましたらコメントしてください。できる限り役立てるように返事させていただきます。

ルプラ・ボウ ベレ 堀毛のホームページです。ぜひ、覗いてみてください。→http://haircatalog.appnt.me/lepla/staff_detail/411

ぼくの動画もあります。→http://youtu.be/p4kxGQKLTss

ルプラ・ボウ ベレは、新城の美容室です。ベレのブログはコチラ。→//www.le-pla.co.jp/b/beret/

Beret
愛知県新城市豊栄石原135-1

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簡単ネット予約もお試しください。→https://cs.appnt.me/facebook/page_tab/697?stand_alone=1

ここからぼくの生い立ちを。

1988年6月16日、名古屋の八事日赤病院にて、母ががんばったかどうかはぼくにはわからないけど、きっとがんってくれたんだろう、無事産まれました。

実家は名古屋市瑞穂区です。近所には瑞穂陸上競技場ぐらいしかないですが、遊び場には苦労しないぐらい競技場の周りに公園があります。ラグビー場や野球場、市営プール・・・・山や森、畑や田んぼは皆無ですが、広い空き地?正確に言えば広大な駐車場がたくさんあります。マラソンの時などは通行止めが多く厄介です。なにかの大会や試合などがあると最寄のコンビニ(ファミリーマート)からおにぎりがほとんどなくなるのです。人気のない?おかかや梅が残るぐらいでしょうか。夏はアイスもなくなります。何度も悔しい思いをしています。兄弟は三つ下の弟と七つ下の妹がいます。長男です。

ぼくの家庭は両親ともに働いていた(今ももちろん働いている)ため、保育園に通うことになりました。実は父も母も美容師なのです。もっと言えば、碧南に住むおばあちゃんも美容師です。叔父さん、従兄弟も美容師。周りは美容師ばっかりです。話は戻りますが、保育園に入園です。ぼくの入園した豊岡保育園は・・・正直、保育園のころの記憶なんてほぼ無いです。楽しかったなぁ、ぐらいです。保育園時代の唯一の趣味と言えば、ガラクタを収集することかなと。飴玉とかがいっぱい入っている瓶に大量にガラクタをコレクションしていました。当然、もう捨てましたが・・・どう考えてもゴミです。でも幼きぼくはとても大切にしていました。毎日取り出して並べては悦に浸っていました。両親は心配していたかもしれません。が、ある程度無事に大人となることができました。あと保育園時代はドラゴンボール一色です。そのころの写真はだいたいがカメハメハを放っています。打倒魔人ブウ世代です。

しばらくするとぼくは小学生にレベルアップします。弥富小学校に黒いランドセルを背負い、黄色い帽子を被って通うようになります。入学当初は完全に登校拒否の意思を示していました。家のドアの前で泣いて嫌がっていたのを覚えています。なにが嫌だったのかは自分でもよくわからないのですが、基本的に保守的な性格なのでしょう。新しい環境にあんまり興味を持てないし、むしろ嫌う傾向にあるようです。でも学校に行かないわけにはいかないので通い始めます。まぁ行ってしまえば楽しいのです。友達もすぐにできました。前の席の男の子(左利きの子)と仲良くなります。その子の影響で野球に興味を持ちます。その話はまた後で。小学校の授業が終わったら(学校なんてどこも同じなので大したエピソードはないです。退屈な授業に楽しい休み時間です)学童に通っていました。学童には卓球台があり、毎日のように遊んでいました。そのため卓球は今でも好きで、普通よりはちょっぴり強い自信があります。でもいつも一緒にやっていた友達にはなかなか勝てなかったです。その友達も一緒に野球を始めることになります。ちらほら野球が出てきますが、小学生時代は野球を中心として過ごしました。小学生時代と言わず、中学も高校も野球一色です。3年生の時から近所の野球チームに入団し休日は野球三昧です。友達もほとんど野球つながりです。今では野球的な要素がぼくの容姿からはほとんど感じられなくなってしまいましたが、完全なる野球小僧でした。遊びでバスケ部に入ったりもしましたが(スラムダンクに影響されて)中心は野球でした。自分で言うのもなんですが、まあまあ運動は得意なんです。今でもまだまだ走れる気でいます・・・気持ちだけになりつつありますが。ちなみに野球のポジションは内野手(遊撃手)でした。名古屋なのでドラゴンズの試合を観て育ちました。立浪選手が好きでした。イチロー選手が活躍し、松坂選手が甲子園を賑わせていました。ヤンキースのジーター選手にも憧れました(引退はさみしいです)。人並みにポケモンやドラクエなどのテレビゲームもやりましたが、基本的には野外を走り回っていた子どもでした。勉強は嫌いではなかったです・・・大して勉強はやっていなかったですが。親にはやりたいことをやらせてもらって感謝しています。

数年間・・・6年間ですね・・・小学校に通い萩山中学校に上がります。中学生になっても野球ばかりです。髪を切る時は風呂場でバリカンです(実家が美容室なのに)。中学時代は、正直に言うとダラダラしていたと思います。土日祝日は野球を目いっぱいやっていましたが、平日は学校の部活に入っていなかったので授業が終わると家で再放送のドラマを観る日々が続きます。なんども同じドラマを観た気がします(お金がない、やまとなでしこ、古畑任三郎、このあたりは何度もしつこくやっていました)。勉強は普通程度にはやるようにしていました。学校でも、どう考えても良い生徒ではなかったかなと・・・ちゃんと休まず学校には行っていましたけど。でも野球は硬式のチームに入り(ボーイズリーグ)ガンガンやっていました。なかなかに強いチームで補欠になることが多かったです。巨大な体格で恐ろしい先輩がたくさんいて絶対的な縦社会です。先輩の言葉は絶対で、監督の言葉は神のお告げのようになっていました。かなり極端でしたが、野球を通じて気合と根性は人並み以上だと思います。高校受験も野球のおかげで推薦をもらい無事進学できました。

入学した高校は大府高校でした。当然、野球部に入ります。大府高校野球部は100人近くの大所帯です。試合に出られるのは9人。背番号をもらえるのは18人。やれやれです。一年生のころはグランドの外で走る、走る、走る。『野球選手である前に、立派な高校生であれ』の精神で日常生活までも徹底的に管理された高校生活です。学校内はもちろん通学中も気の抜けないぼくたちは、表面上は真っ当な高校生を演じるべく努力していました。でも今思えば、そういった厳しい教えが最も野球をやってきた中で役に立っていると思います。親への感謝や目上の人への態度、当たり前のような挨拶・・・まともな大人として大切なことを学べた気がします。身になっているかは疑問もありますが。いまだに野球部の監督は最も尊敬できる大人の一人です。すごい人だと思います。当時はいつも怒っていて怖い先生としか思えませんでしたが。さて野球部ですが、二年生のときから補欠でしたが背番号をもらいベンチ入りしていました。ポジションはショートかセカンド・・・守備は得意でした。身体が小さく打撃は苦手でした。身体が小さいのは言い訳ですけど。二年生の秋には愛知県大会で優勝するも、東海大会で負けて甲子園出場を逃します。甲子園行きたかったなぁ。三年生になってもぼくの立ち位置は変わらず、守備固めと代走、あるいは代打でバントという渋い役まわりでした。高校3年間で人間が人生で走る距離ぐらいはゆうに走ったと思います。ボールもたくさん投げたしバットも嫌というほど振り回しました。よくあんなにやれたもんだと自分で自分に感心します。そんなこんなで野球人生に幕を下ろします。何度も言いますが、野球から学んだことは数知れず。今の自分を形成する上で最も影響があったと思います。ちなみに夏の大会で負けて部活を引退した夏休みに、甲子園では怪物マー君とハンカチ王子の試合で盛り上がっていました。そんな学生時代だったので野球以外はほとんどなにもやっていません。野球に関してはある程度マニアックな話題でもいけます。

高校野球を終えると今までに経験したことのないほど暇になりました。でもぼくはなぜだかわかりませんが勉強に目覚めます。少し自慢しますが、勉強はちょっと得意です。大して賢い学校ではないのですが、学年1位になったこともあります。暇になった時間で猛烈に読書にハマり、勉強し始めました。成績も無駄に良くなり(大学へ行く気はさらさら無かったので)進路相談の時期を迎えます。選択肢は①大学へも野球推薦で行く、②この勢いで勉強してある程度賢い大学に行く、③大学なんてくだらないところに行かずに働く、の3つです。でも即決で③を選びます。ぼくはもう学校には行きたくないと思っていたのです(結局は専門学校に行く羽目になります)。就職希望を出すと担任の先生にびっくりされて止められましたが、もう決まったことです、と押し切りました。ちなみにクラスで就職希望はぼくだけでした。なんの仕事にしようか考えて美容師を選びました。選んだ理由は単純で、楽しそうの一言です。働いている両親を見て、楽しそうだと思えたので決めました。美容師になることに決めると学校は通さずに勝手に就職先を探しました。父のコネを駆使して美容室をいろいろと紹介していただき、ルプラ・ボウに辿り着きます。ルプラ・ボウ数店舗の外観
を見て決定しました。面接をしてもらい内定です。担任の先生には事後報告だけしておきました。しかし、美容師になるには免許が必要になります。苦渋の決断ですが専門学校の通信科に通うこととなります・・・学校行きたくなかったんですが。就職が決まっても無駄に勉強は続けてテストを楽しんでいました。読書もこの辺りから暇つぶしの最有力候補になりました。名古屋市図書館にはよく通っていました。野球で焼けた肌は日に日に白くなっていきます。本に関してもまあまあ話せます。それから自動車学校に通い免許を取り、短期のバイトで一人暮らしの資金を貯めます(全然足りず、親に出してもらうことになりますが)。バイトはケーキを作る小さな工場でやっていました。案外センス良くやれていたと思います。最初はひたすらにシールを貼るだけなんですが、2週間ぐらいでロールケーキを巻くまで成長します・・・コロコロと。そして卒業を迎え、名古屋から豊橋へと引っ越します。

引越しは車一台で全て荷物が運べました。豊橋には路面電車が走っていて焦りましたがすぐに慣れました・・・アレがぶつかってくることはよっぽどないでしょう。駅前の店舗でシャンプートレーニングを始め
ました。4月に入社式があり、ルプラ・ボウのスタッフとなりました。一年目のころはアンテ〜アコール・ドゥー〜チッタ〜セレブラル〜ファシルと異動しながら役に立たないアシスタントとしてぼくなりに頑張っていました。トレーニングは好きなタイプなので技術はある程度できるようになりましたが、コミュニケーションは苦手なため苦労した気がします。今でもお話しは苦手ですけど。二年目になり豊橋二川のアンテに戻ります。アンテでそれなりに動けるアシスタントとなり、四年目になるころにスタイリストとなりました。自分を必要としてくれるお客様もいて毎日やりがいを持って仕事ができました。室内での仕事で体力も使わないため、野球小僧の面影はどんどん剥ぎ取られていきました。ある時から植物にも興味を持ち、アンテの庭を花でいっぱいにすべく頑張ってみたりもしました。駐車場を掘り返して耕し、ひまわりの成長に一喜一憂していました。美容師になってから今まで本当に楽しく働かせてもらい、お客様とスタッフの方々には感謝しています。そんな楽しい美容師生活ですが、一方プライベートの一人暮らし生活はおかしな方向へと進みます。まず全く料理をしないためアパートから冷蔵庫を放り出しました。ぼくの部屋には食材というものは皆無です。さらに地デジ化に伴いテレビ無し生活に突入します(正確にはテレビはありますが映りません)。なんで壊れてないのにテレビ買わなきゃいけないんだ、と思ったわけです。それから家では映画を観て過ごすことになりました。好きな映画は『太陽がいっぱい』『死刑台のエレベーター』『鬼火』『冒険者たち』『気狂いピエロ』『勝手にしやがれ』『ポンヌフの恋人』・・・などです。邦画だったらジブリです。宮崎駿監督は尊敬すべきおじいさんです。冷蔵庫とテレビのない生活が数年間続いていますが案外余裕です。むしろ心身共に健康過ぎるぐらいです。そんな感じで5、6年アンテで働いていました。

そして美容師になって6年と半年ほど経ち、豊橋二川のアンテから異動することとなります。18歳で美容師になり25歳までアンテでお世話になりました。異動する際にお客様からたくさんの嬉しい言葉をいただき、それが今の自分にとって最も大切なことになっています。美容師をやっていて良かったと感じられました。異動先は新城のベレです。ベレでもお客様にとって必要な存在になれるようになりたいです。そしてベレではリーダーとしてお店を引っ張っていくこととなりました。これはまたやりがいある仕事です。バリバリ働きますよ。自分の好きなことが仕事にできるのは幸せなことです。ベレが誰にとっても楽しい職場になるようにしたいと思います。当然、お客様に選んでいただけるお店にしたいです。ベレでも植物を育てないとな、と思っています。そして異動してすぐに事件が起きます。長年(7年ぐらいでしょうか)使ってきたケータイ電話が壊れました。スマートフォン全盛の時代に反して愛用してきたケータイでしたが派手にやらかしました。自分の車の上(マツダロードスターの幌の上)に置いたまま走行し、当然道路に落ちてグチャグチャになりました。変なプライドと共にバラバラになり、不本意ながらiPhoneを購入しました。時代の波に飲み込まれつつあります。必死に抗いながら現在に至ります。

長々と綴りましたが要約すると、美容師になって楽しい毎日を過ごしている、野球と読書と映画と植物が好きなアナログ男ってことです。ベレでの毎日は本当に楽しくて仕方がないです。

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Profile

堀毛 翔太

ルプラ・ガーデン   堀毛 翔太

ルプラ・ボウの教育ディレクターをやっています。
1988年生まれの男。名古屋出身。
本、映画、旅行、野球、植物が好きです。
どうぞ、よろしく。

キレイになるための情報を毎日お届けできるように更新していきます。
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